半田〜怒濤の煉瓦1
半田市にある、明治時代に建てられた工場へと進みます。
これが煉瓦好きにはたまらない、素敵な建物でした。
まずは北側の壁面から見てまいりましょう。
こちら側にはかつて建物の続きがあったようです。
下側斜めに煉瓦の色が変わっています。
下のアーチ状の窓は、続きの建家を壊してから作ったものでしょう。
向かって左側の窓の周辺は四角く煉瓦の色が変わっていますので
ここには通路か何かがあったように思われます。
所々に見られる穴は戦時中に米軍機の機銃掃射を受けた跡です。
厚い煉瓦壁ですから、幸い死傷者はなかったとのことです。
いろいろとふさいだ跡が良くわかります。
ここも渡り廊下か何かの跡でしょう。窓にしては大きすぎるし
上に屋根の跡らしきものも見えています。
ここは実は現役のビール工場。
戦前の5大ビールの中のひとつカブトビールの工場なのです。
詳しくは検索していただけると出てきますが
戦前の5大ビールメーカーとは。
横浜のスプリング・ヴァレー・ブリュワリーという醸造所が明治3年に開業。
後のキリンビールへつながっていきます。
そして札幌麦酒株式会社。もちろん男は黙ってサッポロビールとなります。
大阪麦酒株式会社は後のアサヒビール。
明治20年になると日本麦酒株式会社が設立されます。
大黒ビールという名前にしたかったそうですが
すでに商標登録されていたために、同じ七福神から恵比寿ビールとなります。
少し遅れて昭和3年に洋酒の寿屋(現サントリー)が「カスケードビール」というブランドを持つ「日英醸造」を買収。昭和5年から「オラガビール」というブランドにて発売されました。
サントリーはその後わずか6年でビールから撤退しますが、昭和39年に自社ブランドで復活します。
ちなみに沖縄のオリオンビールも古いのですが
沖縄の産業を保護するという目的のために本土には出荷されていませんでしたので
この当時はほとんど知られていなかったメーカーです。
そして、地方にありながらこの大手酒造メーカーに挑んだのが
ここ半田にあるカブトビールなのだそうです。
明治22年に初めて3,000本のビールがここから出荷されたそうです。
現役。と書きましたが、今も工場として稼働しているわけではありません。
市がこの建物を保存しているのですが
年に数回、一般公開されています。
その時に合わせて、限定3,000本のカブトビールが作られて
ここで呑んだり買ったりすることができます。
建物の保存だけでなく、一部とは言え機能も残してあることがすばらしい。
剥製のような保存物とは違いますね。
中は煉瓦の分厚い壁をさらに漆喰で仕上げてあるそうで
一部は壁の構造が分るように断面が見られるようになっているようです。
夏でも室内はヒンヤリと一定の温度に保たれているそうです。
いやー、この建物を見て興奮してしまいました。
案内していただいた同行のタカポンさんを放置して
建物の周囲を嘗めるように撮ってしまいました。
今度はぜひとも公開日に訪れて、カブトビールを味わってみたいものです。
怒濤の煉瓦。しばらく、しつこく続きます。
これが煉瓦好きにはたまらない、素敵な建物でした。
まずは北側の壁面から見てまいりましょう。
こちら側にはかつて建物の続きがあったようです。
下側斜めに煉瓦の色が変わっています。
下のアーチ状の窓は、続きの建家を壊してから作ったものでしょう。
向かって左側の窓の周辺は四角く煉瓦の色が変わっていますので
ここには通路か何かがあったように思われます。
所々に見られる穴は戦時中に米軍機の機銃掃射を受けた跡です。
厚い煉瓦壁ですから、幸い死傷者はなかったとのことです。
いろいろとふさいだ跡が良くわかります。
ここも渡り廊下か何かの跡でしょう。窓にしては大きすぎるし
上に屋根の跡らしきものも見えています。
ここは実は現役のビール工場。
戦前の5大ビールの中のひとつカブトビールの工場なのです。
詳しくは検索していただけると出てきますが
戦前の5大ビールメーカーとは。
横浜のスプリング・ヴァレー・ブリュワリーという醸造所が明治3年に開業。
後のキリンビールへつながっていきます。
そして札幌麦酒株式会社。もちろん男は黙ってサッポロビールとなります。
大阪麦酒株式会社は後のアサヒビール。
明治20年になると日本麦酒株式会社が設立されます。
大黒ビールという名前にしたかったそうですが
すでに商標登録されていたために、同じ七福神から恵比寿ビールとなります。
少し遅れて昭和3年に洋酒の寿屋(現サントリー)が「カスケードビール」というブランドを持つ「日英醸造」を買収。昭和5年から「オラガビール」というブランドにて発売されました。
サントリーはその後わずか6年でビールから撤退しますが、昭和39年に自社ブランドで復活します。
ちなみに沖縄のオリオンビールも古いのですが
沖縄の産業を保護するという目的のために本土には出荷されていませんでしたので
この当時はほとんど知られていなかったメーカーです。
そして、地方にありながらこの大手酒造メーカーに挑んだのが
ここ半田にあるカブトビールなのだそうです。
明治22年に初めて3,000本のビールがここから出荷されたそうです。
現役。と書きましたが、今も工場として稼働しているわけではありません。
市がこの建物を保存しているのですが
年に数回、一般公開されています。
その時に合わせて、限定3,000本のカブトビールが作られて
ここで呑んだり買ったりすることができます。
建物の保存だけでなく、一部とは言え機能も残してあることがすばらしい。
剥製のような保存物とは違いますね。
中は煉瓦の分厚い壁をさらに漆喰で仕上げてあるそうで
一部は壁の構造が分るように断面が見られるようになっているようです。
夏でも室内はヒンヤリと一定の温度に保たれているそうです。
いやー、この建物を見て興奮してしまいました。
案内していただいた同行のタカポンさんを放置して
建物の周囲を嘗めるように撮ってしまいました。
今度はぜひとも公開日に訪れて、カブトビールを味わってみたいものです。
怒濤の煉瓦。しばらく、しつこく続きます。
by md-works
| 2011-12-04 16:55